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お年賀

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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

長続きするか躊躇しながら始めたBLOGも今年で 12年、103回となりました。
(BLOGによるお年賀は4年目)
小学校の絵日記のように文と写真でまとめ、今月はお休みにしようなど折れかけては続けています。
文才、画才(写真才?)がなくとも継続することに意味があると自分に言い聞かせながら・・・・・。

中日新聞(H29.12)の占い欄に、
「小さな木にも美しい花が咲く。知恵、才覚が劣れども嘆くとなかれ」とありました。頑張ります。

(写真は、中国・貴州省肇興村の鼓楼の一部)

# by tsutomu-sumi | 2017-12-29 14:01

2017ワークショップ写房 作品展のご案内

日時 2017年12月05日(火)~12月10日(日)

時間 午前10時~午後6時 (最終日は午後4時まで)

場所 ノリタケの森ギャラリー

   名古屋市西区則武新町3丁目1番36号 電話052-562-9811

   地下鉄東山線「亀島駅」2番出口から徒歩5分

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# by tsutomu-sumi | 2017-11-26 16:20

中国 少数民族の村 Ⅱ

 前回のブログで中国・少数民族について書きましたが、その続きです。
中国は多民族国家で、漢民族と55の少数民族から成っています。漢民族は92%(約12億人)、少数民族は8%(約1億人)です。
55の少数民族では、ウイグル族、チベット族、回族、モンゴル族、チワン族、満州族などは聞いたことがありますが、他の民族はありません。しかし、それぞれ特色のある文化をもっているようで興味がわきます。
55の少数民族のなかでも最も多いのは、貴州省を含む中国南部に住むチワン族で13百万人で東京都の人口とほぼ同じです。

 私が訪ねた所は同じ貴州省の中にある「季刀村」です。ミヤオ(苗族)が住んでいます。ミャオ族は他称で、自称はモン族です。
他称の方が一般的に使われているのは少々妙な感じがします。女性の服装の色や文様の違いで、黒苗、白苗、青苗、紅苗、花苗などと区分されることもあるそうで、分かりやすく良いですね。私が出会った黒苗(貴州省東南部)はスカートの長短から長裙苗、短裙苗に分かれるそうですが、ロング、ミニとは楽しいですね。

 ミャオ族の先祖は、長江中流から漢族に攻められて今の山岳地帯に住むようになったと言われています。しかし、ミヤオ族には文字がなく過去がどうであったかは口伝のみで詳しくは分からないようです。また、過去には同化政策や清朝の増税などで数度の反乱があり、ミヤオ族の人口は三分の一まで減ってしまったそうです。

 「季刀村」は、急斜面にへばりつくように黒い瓦で木造の家々が建ち並び、地面には石が敷かれ歩きやすいです。広場は美しい文様の石畳でできています。
畑や水田など農耕で生計をたてているようで、私の行った時は田植えのシーズンで天秤棒で苗を運ぶ姿をよく見ました。
主食は米です。野菜、肉類、魚を唐辛子、塩、酢で味付けしたおかずで食べるとのことです。

 ミャオ族の人は、顔は日本人に似ていて、木造の家屋も日本の建て方に似ており親近感を覚えます。
私達が村を訪れた時、着飾った村人が地酒をふるまい歌や笛でにぎやかにもてなしてくれました。

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# by tsutomu-sumi | 2017-11-23 17:03

中国・少数民族の村

 中国・少数民族の村に行きました。
長江の南、ベトナムに近い貴州省にあります。(上海から飛行機で3時間のところ)

 貴州省の面積は、北海道の二倍くらいで、省の三分の二がカルスト地形という特色があります。
特に、少数民族の住んでいることで有名で トン族、ミヤオ族、スイ族、プイ族などが居住しています。
昔、力の強い他民族に追われて逃げ、この地の山奥深くに隠れるようにひっそりと住みつき、いまでもここで暮らしています。
村には五重塔に似た多重塔の見張り台があり、敵の侵入を見張っていたそうです。そういえば屋根瓦の色も黒っぽく、目立ちにくいように感じました。

 しかし、不思議なのは、これほど敵の侵入に気を使っているのにもかかわらず、女性の衣装は赤、青、緑などの色や柄のカラフルで派手そのものです。ロングスカートからミニスカートまであります。さらに、ミャオ族の女性は頭に銀製の手のこんだ豪華な冠まで冠っています。
 何故 なぜ・・・・・? 争いごとが終わり、安定した時代になってから、この様な衣装を創りだしたのかもしれません。
今でもお祭りの時にはこの衣装で着飾っているそうです。また、観光客をもてなし、楽しませる時にもこの衣装を着るそうです。
いずれにしても、独特の服装や歌舞、建築など民族文化がずっと引き継がれていて、これは貴州の「夜郎文化(紀元前の漢の時代)に源を発しているそうです。

 貴州省にまつわる「夜郎自大」ということわざがあります。
漢王朝の時代、今の貴州に夜郎国という小さな国がありました。ある時、漢の武帝の使者が夜郎国に来た時です。夜郎王が使者に「漢と我が国とどちらが大きいか」と聞きました。強力で、大国であった漢と比べることは、答えは明らかです。
 このことから「夜郎自大」ということわざができ、「夜郎自大」とは「世間知らずで自信過剰」「井の中の蛙、大海を知らず」という意味で使われているそうです。
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# by tsutomu-sumi | 2017-10-02 12:26

K氏を偲ぶ

ワークショップ写房(写真塾)の仲間であり、人生の良き先輩であったK氏が、なにも告げずに突然逝ってしまわれました。

 M重工の技術畑で活躍されただけに洗練された言行は紳士そのものでした。人柄は穏やかで温か味のある方で、語り口も人柄がにじみ出ており周りの方みなさんに好かれる人でした。
しかし、時にはずばりと「あなたの写真は暗すぎる」と率直に辛口で指摘されることもありました。(晩年の写真には、やや暗めのものもあり、私は内心ニッヤとしたことを覚えています)
ご自分の写真に対する姿勢は、かたくなに崩すことをしない面もあり頑固だなあと思うこともありました。

 登山、ハイキング、ウォーキングがお好きで同好の方々と各地を歩かれていました。勿論、カメラは必ず携えて途中の自然、景色、神社仏閣などを撮りためておられました。

 私とは、BLOGを通じた仲間でもありました。撮りためた写真やそこで感じられたことを文にされ、毎月のようにBLOGとして発信されていました。(その発信数はゆうに百回を超えていたと思います)
お互いのBLOGに、毎回Commentをしあうこともしていました。ここでも「あなたのBLOGの文章は長すぎる」とずばりと指摘をうけたことがあります。

 K氏のBLOGは、今年6月19日付けのものが最後となってしまいました。
これからはK氏のBLOGを見ることが出来ませんし、私のBLOGにCommentを頂くこともなくなりました。  淋しいことです。

          
                  
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                  さようなら。やすらかにお眠りください。

# by tsutomu-sumi | 2017-08-27 20:51